Happy my LOVE
自分の事。愛犬の事等をつれづれなるままに・・・。
今後の決断…。私自身の新たな希望。
今の病気からいつ開放されて病気の怯えから消えるんだろう?
そう思うのは、
子供の頃。物心ついた時から、風邪を引くと必ず出てしまう
単純性ヘルペスから私の病気が始まりました。
私の身体に起きた新たな異変…。
「神は乗り越えられない試練は与えない」かぁ~…。
私自身。ここ数年で…。
子宮筋腫。外斜視。慢性胃炎(ピロリ菌発覚)。
バセドウ病(手術⇒甲状腺機能低下症)。が起こり、
ここ。2.3日で下腹部(脹脛の股部分)に
コブの様なしこりらしきものが出来てしまっている状態…。
バセドウ病の通院記録…。バセドウ病になって…
~バセドウ病の通院記録~
藤井フミヤ『カウントダウンライブ (2018-20019)』\(^o^)/
藤井フミヤさんの
カウントダウンライブ(2018-2019)のライブ。
フミヤさんの日本武道館カウントダウンライブは、
1999年から2008年まで毎年行われ、
10回目の開催を節目に一旦終了し、
デビュー30周年。
ソロデビュー20周年を迎えた13年に5年ぶりに復活。
通算15回、開催されたそうです。
2019年4月から掲載中の漫画。実写ドラマ化。凄く嬉しい~\(^o^)/
2019年4月から連載中している漫画のドラマ化が続々決定して
凄く楽しみにしている私☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
イブニング連載中の朱戸アオ先生の「インハンド」
花とゆめ連載中の師走ゆき先生の『高嶺と花』
モーニング連載中のよしながふみ先生の『きのう何食べた?』
…それぞれのドラマ化をご紹介。
病気で気になること…。
そう言えば、病気で気になる事が…。
私自身。ある。
それは…。
事故・病気のあれこれ…
そう言えば、私は、生まれてこのかた。
子宮筋腫の病気になって、通院したり・・・・。
怪我をして、入院したり・・・・・。
車に追突され、ムチ打ちになって通院したり・・・・・。
原因が結局分からなかった、両足の痛みだったり・・・・・。
仕事帰りに、縁石に乗ってしまって滑って、
落ちて、足に大ケガして、通院したり・・・・・。
と…私は、生きてきて、色々と入院をしたり、
通院を繰り返しているんだな~ってつくづく思う。
バセドウ病…手術。その後の私。
1年4ヶ月前にバセドウ病で全摘した私。
他の病気を治したくて、手術したのに…。
今。一番辛いのは、歌には自信があったのに、
まさか…音痴になるほど声が出なくなってて…
歌えないってストレスは⤵︎。
だって今の歌がカラオケで歌えない…。
歌を聴く事しか出来ないなんて…ストレスが…。
それでも…。1ヶ月に1度の診察がやってくる。
甲状腺を採ってしまった為に…
ホルモン剤(チラージン)を飲まなきゃいけない…。
更に…私の場合。
甲状腺全摘後。甲状腺機能低下症になり、
低カルシウム血症になってしまい…
その結果。2度。入院する羽目に…。
その為…未だに…治療が続く…。
今も。通院して、治療していると、
甲状腺の先生から
「低カルシウム血症は、落ち着くけれど…
死ぬまで…一生…
ホルモン剤は飲まなきゃいけない…」と話すが、
正直…。手術をして正解だったのか…?
手術をしないで、投薬治療だったら…と考える私がいる。
明けまして おめでとうございます。
明けまして おめでとうございます。
昨年(20017)。去年(2018)の
私の年は最悪でした(´;ω;`)。
バセドウ病という甲状腺の病気にかかり、
入退院の繰り返し。
挙句の果てに…バセドウ病の悪化で…。
心不全を起こし…
更に…不整脈。心房細動。
挙句には…肺高血圧症に…。
バセドウ病の手術をしても、
低カルシウム血症に悩まされ…
入退院の繰り返し。
やっと…去年(2018年10月)に
"心臓は問題ない"と循環器の先生に言われ完治。
心臓が元々。悪ければ…自分自身。色々と考えるけれど…
全く問題が無い状態だと…
正直。防ぎようが無い(T_T)
今年は病気には気を付けたい…。
でも…去年のクリスマス過ぎから、
生まれて初めてインフルエンザA型にかかってしまった私。
熱は下がったものの…咳は止まらない…(`o´)。
甲状腺を手術した影響なのか…
かなり喉が痛い…。声も出しずらい…。
来週から仕事が再開だから…
それまでに…
咳が止まってくれれば…
喉の痛みが無くなってくれれば…と願う私p(*^-^*)q
映画『猫の恩返し』
≪STORY≫
ごく普通の女子高校生ハル。
学校には遅刻するし、
ゴミ箱の中身をぶちまける大失態。
おまけに、憧れの男の子が別の女の子といい感じで
2ショットになっているのを目撃してしまい、
すっかり落ち込んでいた。
そんなハルは、
たまたまトラックにひかれそうになった1匹の猫を助けた。
しかし、その猫が実は“猫の国”の王子ルーンだったことから、
ハルはお礼として猫の国へと招待される。
そこでハルは猫たちから盛大な歓迎を受け、
いつしか
“つらい現実より、猫になって楽しく生きたい”と願うようになる。
と、そこへ猫の男爵バロンが現われるのだった…。
≪声の出演≫
吉岡ハル…池脇千鶴
バロン…袴田吉彦
ムタ…渡辺哲
トト…斉藤洋介
ルーン王子…山田孝之
ユキ…前田亜季
猫王…丹波哲郎
ナトリ…佐戸井けん太
ナトル…濱田マリ
吉岡直子(ハルの母親)…岡江久美子
≪感想≫
『猫の恩返し』は、
ハルという少女が、猫を助けたために
猫の国に招待され、そこで冒険する物語だけれど…。
とてもスッキリしていて見ていて気持ちよく見れる映画で、
主人公が猫の国へ行く理由や、
猫たちの気持ちは余り描かれないので感情移入はしにくいけれど、
その分童話やメルヘン的な要素が描かれている作品だと思います。
主人公がバロンにお姫様抱っこされてるシーンが
凄く心に残るシーンですが…。
"自分の時間を生きる"って…。
これって簡単そうにみえて実はとっても難しいんだなぁと
映画を見て改めて思いました。
「自分の時間を生きる」かぁ(。ŏ_ŏ)って考えた時に…。
月並みだけど、あるがままの自分を認めるとか、
人の生き方や価値観に依存しないことなのかな?。
年をとって定年退職して自分の時間ができた時…。
何をすればいいか分からないみたいな、
楽しみを知らない人にはなりたくないと思いました。(*^^*)
もし…本当に猫の国があったとしたら行ってみたいかな?
でも…犬の国があったら…って考えると…
「どんな国なのかな?」って思ってしまう私です。
バセドウ病の手術後…再入院後。再び低カルシウム血症になり再々入院。
1月12日~1月27日
低カルシウム血症で再々入院。
バセドウ病になり、甲状腺摘出後。
甲状腺機能低下症…チラージンS
副甲状腺機能低下症…ロカルトロール
それぞれの吸収不良も考え入院。
ただ…その間。
1月17日~1月21日まで私は38℃の高熱にうなされる。
風邪を引いた私は、担当の先生に
「38度。熱があるんだけれど…」と伝えると、
担当の先生は、インフルエンザの検査をした。
そして…一言。
「高熱が出ても
インフルエンザじゃなければ大丈夫だよ。」と言った。
2.3日。38度の高熱と戦いながら、私は担当の先生に、
「風邪薬を処方して下さい。」と伝えるが、
担当の先生が処方した薬は、うがい薬と咳止めだった。
「ここは大学病院なのに…。」
「他の内科だって耳鼻科だってあるのに…」と
思ってしまう私がいた。
高熱を出して…5日目の昼頃。
ようやく熱が下がって安心していると…。
ヘルペスに変わっていた。
(小さい頃から風邪を引くと鼻の下に風邪熱(ヘルペス)が出来る)
そして…暫くすると…
身体が何故か…身体が突っ張った状態に陥ってしまった私。
担当の先生が来て、
「低カルシウム剤の薬を飲めば落ち着くから…」と言うが、
私の身体は、段々と突っ張りから、カ呼吸になっていき、
更には…両手がテタニーが酷い状態で硬直。
そんな状況で、薬など飲めるはずが無い。
それでも尚。
担当の先生と看護婦さんは、
「薬を飲みなさい」と言ったりして、
後は、私の状態をただ何もしないで見ているだけだった…。
見ているだけの先生…。
看護婦さん達を「??」と思いながら、
私は、硬直をなくす為に、
以前。TVで
「血液を循環させるには
座布団やクッション等を使って足を上げるといい」
と言う事を思い出し、血液を循環する為に
ベットに備え付けの手すり使って足を上げた。
足を上げて暫くすると、
両手の硬直も身体の突っ張りも次第に収まっていき、
私は一安心した。
私は、また出たら…って考え、
低カルシウム剤の薬を飲んだ。
暫くして、担当の先生が
「今日。耳鼻科の診察が入っているから、
呼ばれたら行ってね」と言われる。
呼ばれて耳鼻科に行き、診察を受けた。
そして…更に詳しい検査をする為に、
鼻に麻酔を挿入する時に、
私は、カ呼吸を起こしてしまう。
私は、段々と…不安を覚え、
「ここの病院にいても大丈夫なのかな?
風邪を引いても、体が突っ張って硬直状態になっても
何も出来ない病院に入院してても大丈夫?
何の為に入院しているんだろう…?。
ただ単に。
低カルシウム血症の治療だけの為の入院だったのかな?
ここにいても。何もしないのなら家にいる方が良い…。」
と考えてしまうのは…私だけなのだろうか?
私は当然。
担当の先生に「退院したいです」と伝えた。
風邪を引いて…高熱が出て…下がって…
ヘルペスに変わり…身体が硬直状態に陥ってしまったが、
低カルシウム血症に関しては…。
吸収に影響する可能性のある薬剤を中止。
内服薬の変更し、きちんと飲めているのか確認。
その結果…。
カルシウム上昇し、リン低下。
甲状腺ホルモンも上昇してきている為。
安定し退院となった。
今後は…。
自宅で療養しながら、
身体と相談しながら、
自分に無理をしない程に仕事をしていく事になる…。
後は…
今回みたいな身体の硬直の症状が出ない事を祈りつつ…。
2週間に1回の通院日記…。
2017年10月15日~2018年1月11日
2週間に1回。
木曜日に循環器の診察。
内分泌内科(甲状腺)の診察がやってくる。
循環器の診察は…。
心電図。レントゲン検査。心エコー検査…。と
1ヶ月間隔?で診察と検査。
そして…私の身体の状況などを聞いて、
薬を処方している。
内分泌内科(甲状腺)の診察は…。
甲状腺を手術で全摘してしまった私は、
カルシウム剤とホルモン剤を服用しないといけない状態なので、
血液検査をして、その結果で薬を処方するので、
血液検査次第で薬の量が変わる。
そんな…2つの循環器と内分泌科を
2週間に1回の受診しての治療なので私は…正直。疲れる。
これが…1ヶ月に1度なら疲れもないかも?知れないけれど…。
私の場合。
手術後に低カルシウム血症に陥って入院する羽目になって、
安定したり…安定し無かったりと不安定が続いている事もあって、
薬の量も…増えたり…減ったりの繰り返し。
まぁ…。私の身体は手術して以来。
1.暑がりだったのが、極端に寒がりになった事。
2.大きい声が出せず…。手術を受ける前は上手に歌が唄えたのに、
手術を受けてから音痴になったように唄えなくなった事。
3.風邪を引くと、喉が強烈に痛いこと。
4.身体が疲れ?てきたり、寒くなってくると、
身体に突っ張りが出てくるようになったり、
時には手がテタニーの症状があらわれたりする事が多くなった。等…。
5.手術を受ける前は標準体重よりも太っていて、
段々やせて標準体重まで体重を落とす事が出来たが、
逆に、手術を受けてから、
体重はみるみる内に標準体重よりも太り、痩せにくい体質に…。
という具合に、
私の身体は180度は大げさ?かも知れないけれど…
身体が変わったせいもあるのかな?って考える…。
因みに…。
△△病院で眼科。産婦人科。胃(慢性胃炎・ピロリ菌)を診察して以来。
その後。全く何の治療もしていない。
ただ…。☆☆大学病院へ変わっても甲状腺の手術。
その後の甲状腺の治療のみ。と言う事だけは付け加え。
映画『魔女の宅急便』\(^o^)/
一人前の魔女になるための修行として、
知らない町で1年間生活する13歳の少女キキが
さまざまな出来事を通して成長するさまを見つめる。
≪STORY≫
魔女の家系である少女キキは、
13歳になったのを機に魔女になるための修行をすることに。
それは見知らぬ町で、1年間だけ生活するというものだった。
黒猫ジジと空飛ぶホウキに乗って旅に出た彼女は、
海辺の町コリコへとたどり着く。
やがて、パン屋の女主人おソノの家に居候し、宅急便屋を開業。
つらい出来事があっても、
母コキリに言われた笑顔を忘れずに働く中、
空を飛びたいと願う少年とんぼと出会う。
≪声の出演≫
キキ/ウルスラ…高山みなみ
ジジ…佐久間レイ
おソノ…戸田恵子
トンボ/コポリ…山口勝平
老婦人…加藤治子
バーサ…関弘子
オキノ…三浦浩一
≪感想≫
物語も画像も大変好きですが、音楽が特に好きです。
曲に関してはこの映画のはどれも好きだけれど、
最初に主人公キキが草原でラジオを聴いて
出発を決意し、家に向かうシーンの曲が特に好きで、
一緒にこれからの展開にドキドキしたり、
応援したくなったり、ワクワクしてしまい、
何度見ても飽きないのが凄いです。
…原作より少しだけ華やかな世界観なのでおススメな映画です!(*^_^*)
バセドウ病の手術後…低カルシウム血症になり再入院。
9月28日~10月14日
バセドウ病の手術後。再入院。
甲状腺を採ってしまった為に甲状腺機能低下症。
甲状腺機能低下症になってしまうと、
むくみ。こむら返り。寒がり。やる気が落ちる。
それを補う為に、甲状腺ホルモンの補充は欠かせない。
私の場合…。
甲状腺の手術をした為、
術後。副甲状腺機能低下症になり、
その為に、
テタニー症状がでているとの事らしい…ので、
薬を調節。増量しながら、
時にはカルシウムの点滴しながら
治療し、安定し、退院となる。
映画『天空の城ラピュタ』☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
≪STORY≫
スウィフトの「ガリバー旅行記」をモチーフに、
宮崎駿がオリジナル原案で描いた冒険アクション。
空に浮かぶ伝説の島“ラピュタ”や
反重力作用を持つ“飛行石”といった
ファンタジックなプロット、
そして躍動感溢れるストーリー&卓越した演出など、
宮崎監督の手腕が冴える傑作娯楽活劇。
スラッグ峡谷に住む見習い機械工のパズーは
ある日、空から降りてきた不思議な少女を助ける。
その少女・シータは、
浮力を持つ謎の鉱石“飛行石”を身につけていた。
やがてパズーは、
飛行石を狙う政府機関や海賊たちの陰謀に巻き込まれ、
かつて地上を支配したという
伝説の天空島「ラピュタ帝国」に誘われてゆく。
因みに…
「ラピュタ」という名称は、
スウィフトの『ガリヴァー旅行記』に登場する、
空を飛ぶ島にある王国「ラピュタ王国(en:Laputa)」からとったもの。
劇中に空飛ぶ島の物語を空想した人物として
スウィフトの名前も出てくるが、
名前の借用以外は『ガリヴァー旅行記』との関連はない。
19世紀後半、
産業革命期のヨーロッパを元にした架空世界での冒険を描く。
≪声の出演≫
パズー…田中真弓
シータ…横沢啓子
ドーラ…初井言榮
ムスカ…寺田農
モウロ将軍…永井一郎
ポムじいさん…常田富士男
親方…糸博
おかみさん…鷲尾真知子
マッジ…TARAKO
≪感想≫
何度観ても、また観たくなる(* ´ ▽ ` *)。
ジブリ映画で一番好きな作品で、
特に…。
竜の巣の中でパズーが父の幻影を見る所は、
個人的にジブリでは最も泣けます。
私は、アニメの主人公が何かを見てハッとするシーンが好きだけれど、
このシーンはその中でもトップ級に気に入っています。
大きな雲を見ると、
ラピュタって、本当にあるんじゃないかな、って思ってしまう程…。
私にとっては、最高のアニメーション映画でした。
夢、 冒険、 スリル、 感動、 重厚なストーリー等…。
全部詰まった理想的な作品でした(*^_^*)
バセドウ病の手術して退院して…
9月23日(日)~9月27日
そして…家で過ごす事数日。
処方された薬を飲みながら毎日を過ごしていると…
発作の様に…テタニー症状が出はじめた。
症状が出たとき用の薬を飲んでも効かず、
手術を受けた☆☆大学病院へ緊急に連絡。
主治医の先生から
「今すぐ病院へ来てください。」との事だったので病院へ。
「低カルシウム血症になっているので
補う為に点滴をします。」と言われ
点滴をする事に…。
主治医の先生から、
「貴女の場合。低カルシウム血症になっている為、
毎日。点滴をする為に病院へ足を運ぶか。
それとも、
入院して低カルシウム血症を治療するか…」と言われたので、
毎日。病院へ通うより、
入院して治療した方が良いかも。と考え入院する事に。
バセドウ病…手術4日目。
主治医の先生から退院の許可が下りた。
退院は日曜日の9月23日(日)に決定。
今後は処方されたカルシウム剤。ホルモン剤を飲んでの治療が始まる。
因みにカルシウム剤は甲状腺を失ってしまった為に、
手術を受けた状態では副甲状腺だけでは補えないので、
副甲状腺が補えるようにカルシウム剤を採るとの事。
ホルモン剤は、甲状腺が無い為に、一生。ホルモン剤で補う薬との事。
バセドウ病…手術3日目。
朝から手にテタニー症状が出始める。
「手術を受けた人は、誰でもテタニーは出るから…」と
主治医の先生に言われるが…結構。痛い…。
喉の違和感は手術後と変わらない。
バセドウ病…手術…2日目。
まぁ…。
手術を受けたんだから違和感があっても不思議では無いんだけれど…。
昨日の夜は手術を受けた事もあって点滴のみだったので、
朝からお粥と秋刀魚の蒲焼。漬物。と
普通のご飯からお粥に代えた病院の普通の食事。
「えっ?普通に食べても良いの?」って思ってしまうが、
実際は風邪を引いたみたいに喉が痛くて食べれなく、食欲が無い。
少し歩く練習をし、昼頃には一般病棟へ移動。と最速。
バセドウ病…手術日。当日…。
歩いて看護婦さんと手術室へ行き、
初めて手術台に乗り、話をしながら麻酔を嗅がされた…。
麻酔から覚めて気づいた時には、
「えっ?もう終わってたの?」
「え??これから手術じゃないの?」って思ってしまうほど、
甲状腺の手術も無事に終わっていた…のにはさすがにビックリしたが、
念の為に、心臓の事も考えICUで一晩過ごす事に…。
手術に向けて入院中…。明日は…手術日。
9月12日(火)~9月18日(月)
手術に向けて薬の調節。増量をしながら治療をし、結果。
順調に値が下がっているとの事。
手術の説明を再度。最初に聞くはずだった担当の先生に聞き、
外科の先生とも相談し、甲状腺を半分にして残すよりも、
私の身体を考慮し、全摘する事になった。
当然。甲状腺を採ってしまうのだから、
ホルモン剤は死ぬまで一生のみ続ける羽目になる事も説明してくれた。
そして…。
循環器の先生…。内分泌内科の先生…。麻酔科の先生…。
念の為に自己血…。心電図…。手術の説明…。手術を受けて入るICUの説明…。と
めまぐるしい一週間が過ぎた。
明日は、とうとう待ちに待った手術日。
全摘しても大丈夫かな?と不安は過ぎる…。
手術に向けての入院生活…。
今日から☆☆大学病院での手術に向けての入院生活。
更に…手術に向けて薬を増やしての絶対安静。治療が始まる。
△△病院同様。病棟内はOKだけれど、1階へ降りるのはNG。
当然。買い物は、看護婦さんや助手さんに頼むか、
助手さんとなら一緒に1階へ降りても良いという条件付。
まぁ。病棟内だけでも以外に広く、
少しばかり動く運動には私的には問題なかった。
(因みに病院は9階建で。7階が私の病室。)
通院…手術の日にち決まる。
今日は朝から☆☆大学病院へ行って、採血。
内分泌内科の診察。甲状腺の外科の診察が入っていたので、
順番に1時間30分かかる採血。内分泌内科。外科の診察。を受けた。
外科の先生から
「前回よりも今日採った採血の方が、
少し値が上がり始めてしまった為、
このままだと手術が出来ないのかも知れない…。
ひょっとしたら薬の効果が効かなくなっているのかも知れない…」との事で、
急遽。9月11日(月)に入院し、9月19日(火)に手術が決まった。
入院中に値を下げて、手術が行えるかが、この1週間で決まるとの事らしい…。
通院…。手術の期待を胸に…。
時間の予約がAM9:00~AM11:00までだった為。
受付を済ませれば…
って事だったので早めに☆☆大学病院へ到着。
早めに着いた私は、
甲状腺の外科の待合室でひたすら呼ばれるまで待った。
受付の人が、
「今日は担当の先生がお休みなの。
もし、良ければ月曜日でも再度来てくれる?
都合が悪ければ、
他の先生でも話くらいは聞けれるとは思うけれど、
今日は金曜日という事もあって結構。待っている人も多く、
時間がかかるかも知れない。
それでも良いのなら待ってて下さい」と言われたので、
私は、せっかく今日来たんだから…。と思い待つ事にした。
待つ事…数分。
看護婦さんに呼ばれ、
私は診察室に入って、担当の先生の代わりの先生。
後に…主治医の先生。が手術の話を細かく説明してくれた。
そして…今の状態を考慮して、
9月27日頃に手術という運びとなった。
それまでは、今まで同様。
循環器科。内分泌内科の診察を受けながら、
更に、今飲んでいる薬を調節しながら治療していく事になるとの事。
私は、"やっと手術が受けれるんだ"と
期待を持ちながら病院を後にした。
通院…。そして…。
8月10日(木)~8月31日(木)
△△病院から☆☆大学病院へ、"手術"に期待を持ちながら、
私は治療の為に通う事になる。
☆☆大学病院で採血を採って、待つ事…1時間30分。
循環器の担当の先生と
△△病院からお世話になっている内分泌科の先生の診察。
朝早くに出かけ、昼頃に採血に1時間30分かかる為。結構。疲れる。
循環器科と内分泌科の診察と血液検査をしながら、
2週間位?過ぎたある日。
内分泌科の先生が
「甲状腺の専門の外科の先生に会って、
月。水。金曜日のいづれかで診察してきてください。」との事だったので、
私は、明日が金曜日だった事もあって、早い方が…と考え、
「明日でも大丈夫なので、明日。診察を受けてきます」と伝えると、
内分泌科の先生に
「院内紹介状を送っておきますので、
明日受けて来てください。」と言われ診察を後にした。
手術を受ける希望をもって病院変更。
8月5日の退院の日から一週間が過ぎ、
今日から、△△病院から☆☆大学病院へ
バセドウ病の手術を受ける為に変わる事になった私。
△△病院で良かったのだけれど、
循環器の担当の主治医の先生が
甲状腺の手術を受ける事に大反対した為。
元々。私は心臓は異常が全く無い状態で、
バセドウ病の病気にかかり、
挙句の果てには、心房細動を起こし、
不整脈を患い、肺高血圧症に陥った。
その影響なのだろうか?
その主治医がOKを出さないと、他の科。
私は、産婦人科と眼科を受診していたが、
「甲状腺が安定してからでも遅くは無いから…。」と診察を後回し。
いくら甲状腺が心臓に影響しているからとは言え、
甲状腺が安定?っていつ頃安定してくるのかは、
正直。誰にも分からない。と私は思うんだよね。
バセドウ病になって入院して…
再入院して…いる状況になって、
更に、胃が調子が悪いから
主治医の先生に無理を言って胃を内視鏡で検査。
胃を検査したら、慢性胃炎。ピロリ菌があると分かる。
主治医の先生曰く。
「ピロリ菌なら誰にでもあるから、そのままでも大丈夫だよ。」と
何もせずに放置状態。
世の中では、早期発見って騒いでいるが、
私がどんなに訴えても眼科も産婦人科も胃でさえも放置状態だ。
どの先生も甲状腺を最優先…って感じで治療しているのが現状だ。
なので私は、
「△△病院が手術に反対して手術が出来ないのなら、
他の病院へ行って手術をして、甲状腺を直したい。
更に、眼科。産婦人科。胃の不調を無くし、健康になりたい。」
と考え甲状腺の先生に相談。
内分泌科の先生は☆☆大学病院から
△△病院へ診察に行っていた先生だった事もあり、
「☆☆大学病院には甲状腺の専門の先生がいるから」と言われ、
前向きな気持ちで私は☆☆大学病院へ変わる事にした。
1ヶ月と9日間の再入院生活から退院…。
やっと・・・・・退院の日を向かえた。
でも、私は、正直・・・・・。不安だらけだ。
どんなに、動悸や胸の痛み。右手の痛み。背中から腰の辺りまでの痛み。
頭痛が少し和らいでも、
また、痛みが襲ってくると内心。かなり複雑な思いだ。
主治医の先生が、
「病院にいる時は、余り運動っていう運動は出来ないに等しいから、
運動は、10分程度なら散歩も大丈夫。
階段の上り下りも、心臓に負担がかかるかも知れないから、
無理は絶対にしないように。」と私に言った。
でも、退院して家に帰ったら、
10分程度の散歩なんて生活上。無理!だって思った。
買い物でも、10分以上はかかるだろうから・・・・・。
階段の上り下りだって、家は2階だから、
階段の上り下りもしない訳にはいかない。
そう、考えると、生活上不可欠だし、必要なのになぁ~。と
主治医の先生の話を聞きながら思ったけれど、
無理をしない程度なら・・・・・大丈夫かな?って思った。
まぁ・・・・・。何はともあれ退院だ!
やっと1カ月と9日間の再入院生活も終わったけれど、
更に長い、投薬治療が甲状腺専門の先生のOKが出るまで続いていく・・・・・。
毎日の投薬が無くなって欲しいと・・・・・。今は心から願う。
再入院中…喜べる自分と喜べない自分
朝から採血(5本)から始まり、
胸部レントゲン検査、心電図と最終の検査。
8月5日(土)の退院まで後、2日。
今後。△△病院では薬での治療しか出来ない?為に、
☆☆大学病院へ行く為の最終検査。
ここ最近。朝、昼、夜と食事が出来なくなっている為なのか?
検査結果は前回の7月31日(月)の検査よりも、
良くなっているとの事。らしい・・・・・・。
検査結果が良くなっているのだから・・・・・。
喜べるはずなのに・・・。素直に喜べない自分がいる。
朝、昼、夜ときちんと食事を取っていれば、
「あ~。きちんと朝、昼、夜と食事をとっていて、体調も良好なら・・・・。」
喜べるだと思うけれど、そうじゃないから・・・喜べるんだよね。
体調も最近は…良好ともいえないし・・・・・。
胸の痛み。背中から腰までの痛み。動悸。息切れ。目のけいれん。
更に・・・・・。体の異様な疲れ。頭痛。
因みに、24時間体に付けている心電計は、
70~90と昨日よりも正常範囲だ。
検査結果も異常はないのに・・・・・
それでも、後2日で退院なのに・・・・・。
体に異変が起こるのは、正直・・・・・不安だらけだ。
再入院中…。雨で体調異常??
朝起きた時に、首の激痛から始まり、動悸。胸の痛み。
更に、背中から腰の辺りまで、痛みがあってかなり痛い・・・・・。
追突された時の後遺症かな?
左足を傷を負った時に自転車ごと落ちた時の後遺症かな?
やっぱり。天気と関係しているのかな~。
今日は・・・・・曇り。雨。だから・・・・・。
他に・・・・・思い当たる節がないから・・・・・。一体どうしたんだろう・・・・・。
昨日までは、朝、痛みがあっても、夕方には、収まっていたのに・・・・・。
今日は、ベットに寝ていても、動いて歩いても1日中痛い。
夕方。シャワーを浴びて、サッパリしたはずなのに・・・・・。
余計に辛い・・・・・。24時間付けている心電計も、
最近では70~89前後だったのに、今日は、90~110に超えている。
こんな調子なのに・・・・・退院して、家で過ごせるのかな~。
自分で決めたはずなのに・・・・・。結構・・・・・。不安・・・・・・。
再入院中…。退院後の相談。
寝てないせいだろうか?今日は朝から体が重い。
24時間、装着している心電計は、
変な脈を打っているのは変わりなく、
波形をみても100以下のままで、
先週の7月27日(木)から変わらない。
でも、何故?か動悸。胸の痛みがあって違和感がある。
それに・・・・・。食欲も全くなくお腹が好かない。
一体・・・・・。どうしたんだろう・・・・・。
入院生活にストレスを感じ、疲れ切ってしまったんだろうか?
そこへ、母と妹が来て、
今の状況を妹に伝えたら、いきなりお金の事を持ち出し、
挙げ句の果てには、怒って帰ってしまう始末。
何なんだ!来るのが嫌なら、
旦那が居ようと居まいと私が電話した時に
最初っから断ればいいのに・・・・・。
それに、調子が悪いなら、調子が悪いから行けない。と
母を向かえに行く前に断れば済む事なのに・・・・・。
何で、こうも自分勝手なんだろう・・・・・。
妺ながらに情けない・・・・・。
母は、母で、何をしに来たのか、
甲状腺の先生の話も聞かず、そそくさと帰って行くし、
一体。何しに来たんだろう・・・・・。とふと思う。
夕方の17時頃。内分泌内科(甲状腺)の先生に呼ばれ、
2階のの受付に向かう。
30分位過ぎた頃。診察の順番が来て診察室に向かう。
先生に私は、
「甲状腺の先生が在中している病院を知らないので、
病院を紹介して欲しい」と伝えると、
先生曰わく。
「私が居る☆☆大学病院で良ければ、
紹介って言う形で診察が受けられるけど、
その変わり、入院のまま行く事が出来ないから、
一度、退院してからなら、
☆☆大学病院に行く事が出来て大丈夫だと思うよ。
それに、☆☆大学病院なら甲状腺専門の先生もいるし、
心臓の先生もいるから・・・・・。」と言ってくれた。
私は、それなら・・・・・大丈夫かな?っと思い、退院する事に納得し、
先生に「はい。大丈夫です。」と返事をし、
診察室を後にして、7階の病室に戻った。
病室に戻って、数時間後。主治医の先生が病室に来て、
8月5日(土)に退院する事。
今後、違う病院で全て治療する事を伝え、
主治医の先生が病室を後にした。
私は、これでよかったのかな?って一瞬。思ったけれど、
このまま、薬の治療を続けて手術を希望しても、
手術が出来ないのなら、
やっぱり、何の解決にもならないって考えるけど・・・・・。
他の病院に行っても、
今と同じ状況なら、???って思うかも知れないけれど、
違う状況なら、これで良かったんだ!って思えるのかも知れない。
まっ。あれこれ考えるより、
今は、前向きに・・・・・大丈夫って思っていたい。
再入院中…。退院の許可が下りる。
今日は朝から採血(5本)。
朝、採血(5本)取ったのに、
血液が固まったとかで1本追加で採血をする羽目に。
続いて、レントゲン検査の為、1階の検査室へ。
1階の胸部レントゲン検査を済ませ7階の病室へ戻った。
暫くすると看護婦さんから、
「主治医の先生が、
整形外科を受診するようにだって・・・・・。」と言ったので、
看護婦さんと一緒に1階の整形外科へ歩いて向かい、待っていると、
整形外科の診察に呼ばれ、整形外科の先生に右手の腫れを見せた。
整形外科の先生から
「念の為にレントゲンを取ってきて下さい。」と言われたので、
レントゲン室に行き、右手のレントゲンを撮り、
整形外科へ再び戻った。
暫くすると、整形外科の先生に呼ばれ診察室に入った。
整形外科の先生曰わく。
「血液をサラサラにする薬を飲んでいると、
人によって、黒ずんだり、腫れたりする。
念の為にレントゲンを撮ったけど、
レントゲンでは、骨には異常がないので、心配はないよ。」
「患部は黒ずんで腫れているので、温めず、冷やして下さい。」
「出来るだけ、痛いかも知れないけど、
手を握ったりして、動かして下さい。
じゃないと、手が固まって動かなくなるかも知れないから。」
「寝る時は、出来るだけ、枕などを使って、
患部を高くして下さい。」と言われ、
看護婦さんと一緒に7階の病室まで戻った。
今月(7月)も今日で最後。
再入院も早いもので1カ月と5日過ぎた今日の夕方頃。
主治医の先生から、退院の許可が下りた。
勿論。通院しながら病院へ向う事になると思うと、
待ち望んでいた退院なのに、手放しで喜べない自分がいる。
本当に退院して大丈夫なのだろうか?
心臓は?血液検査の結果は?。
甲状腺が上がっているのに大丈夫なの?と不安は募る。
心臓関係は○先生。甲状腺関係の内分泌の☆先生。
2人の主治医がいると、正直・・・・・。困る事が多い。
内分泌の先生は週1回の診察だから、更に・・・困る。
週1回じゃなく、週3~5日だったら、
今の状況よりも変わっていたのかな?
それに・・・・・。今のまま入院していても、
この先、心臓も甲状腺も良くなっても手術は絶対に出来ない。
そう考えると・・・・一体・・・・。どうすれば・・・・良いんだろう・・・・。
いっそうの事。
セカンドオピニオンをして、他の病院へ行った方が・・・・・。
明日、内分泌の先生の受診の日だから、聞いてみよう?
そうすれば・・気持ちも・・・・少しは・・・・楽に・・・・なるのかな~。
再入院中…。右手に痛みとアザ…。
7月18日(火)~7月31日(月)
今日。朝。起きた時に、右手に違和感を覚え、右手を見てみたら、
右手が、皮下出血みたいな、アザになってて、触ると痛みがあった。
何故?皮下出血みたいなアザなって、
痛みがあるのかも、覚えが全くなく、注射したとしても、
注射しない所に皮下出血みたいなアザが出来る訳もなく、
夜。寝ている時にでも、ぶっけたのかな?と思ったが、
そんな・・・・・はずもない・・・・・?。と考え、
取り合えず、以前。左足の傷口に痛みがあった時に、
処方してくれた、湿布を貼ってしばらく、様子をみる事にした。
1日目(7月18日(火))
初日。アザがあって、触ると痛みがある感じ・・・・・。
2日目(7月19日(水))。
そんな簡単には、アザは直らず、
1日目の昨日よりも、力を入れたり、
湿布をしていても強い痛みに変わる・・・・・。
3日目(7月20日(木))
2日目よりも痛みが和らいだって感じたけれど、
力を入れるだけでも、強い痛みは続く・・・・・。
4日目(7月21日(金)~10日目(7月26日(水))
痛みは変わらず続き、
右手と左手と比べると右手の方が手の甲、
指、腕の辺りが黒づみ出し腫れている。
11日目(7月27日(木))
この7日間、誰も右手を見る事は全くない事を看護婦さんに伝え、
看護婦さんから主治医の先生に伝わり、やっと右手を見てくれるが、
「薬の副作用だよ。」と言われ、
ロキリプロフェンの湿布を貼って様子を見る事に・・・・・。
右手の黒ずみも腫れも痛みも変わらず・・・・・。
12日目(7月28日(金))~14日目(7月30日(日))
ロキソプロフェンの湿布を貼ると痒みが出はじめる。
15日目(7月31日(月))
主治医の先生の指示で整形外科に行き、
レントゲンを撮って診察。
「骨には異常はない。何処かでぶつけた?
血液をサラサラにする薬を使っているので、
薬の副作用が出たと思うから心配はしなくて良い。
腫れて痛いかも知れないけど、出来るだけ右手を動かしてみてね。
そうしないと筋肉?が固まってしまうから・・・・・。
右手の腫れは冷やした方が良いよ。温めたら駄目だよ。
寝る時は腫れている右手を枕などで
少し高くした方が良いよ。」と言われる。
再入院中…。右手にかゆみ…
昨日の夜に貼った湿布の所が、段々と痒くなってきたので、湿布を剥がした。
湿布を貼った周辺が、腫れて熱を持っているせいか、
ふやけた皮膚状態に白くなり、更に・・・・・痒みが・・・・・。
暫く何もしないで放置状態・・・・・にして、
腫れている右手に負担をかけないように、1日。1日。過ごした。
それでも、右手の腫れは、段々と黒く、まるで、日焼けしたみたいに黒ずんだ。
しかも、日に日に。黒ずみが広がったり、何故?か赤くなったりして行った。
痛みも、最初は、触ると痛みがあった?くらいの感覚だったのに対して、
最近は、触っても触らなくても痛みがある。感覚に変わった。
再入院中。何も言えない自分。
先週1週間は、
右手の甲の痛み以外の動悸、息切れ、胸の痛みは落ち着いていたのに、
今週1週間は、
少し違和感がありつつも、
大丈夫って・・・・自分に言い聞かせながら、
辛い時はベットで安静にしていたりして過ごしている。
そうする事によって、
辛さも和らいでいくように感じるだけなのかも知れないけど、
自分がどこかで安心している。
主治医の先生が病室に診察に来て
「どうですか?」って言っても、
私は、体の辛さを正直に言う事が出来ず
「変わりはない。」と答える事しか出来ない。
検査結果を伝えられても、私には???な感じだった。
看護婦さんに右手の腫れの事を聞いたのか?私に
「手が腫れているって聞いたんだけど・・・・・。」と言われたので、
私は右手を見せた。
「薬の副作用で腫れているから心配しなくて良いよ。」と主治医が言った。
夜になり、夕食を済ませ、病室で休んでいると、看護士さんが、
“ロキソプロフェンNaテープ100mg7枚入”を持ってきた。
以前。左足の膝の傷口が痛い時に使っていた湿布だった。
その看護士さんが持ってきた湿布を腫れている右手に湿布し、
夜を過ごした。
再入院中…。胃の検査で慢性胃炎。更にピロリ菌判明。
今日は朝から採血(5本)から始まり、胸部のレントゲン検査。
心電図、心エコー検査。胸部・上腹部のCT検査。
胃カメラと検査が目白押しだ!
採血(5本)。胸部レントゲン検査。心電図。
心エコー検査。胸部・上腹部のCT検査と順番に済ませ、
胃カメラの順番になり、2階の内視鏡検査室に車椅子で向かった。
内視鏡検査室の部屋に入り、順番を待ち、
5分。10分。15分。20分。と時間が経過し、ついに私の順番が。
愛知県に住んでいた時に
地元の病院で胃カメラを行った事があったから、
何年経っても、やり方は変わらないだろう・・・と思っていたら・・・。
地元病院の時に胃カメラをした時は、
麻酔薬の前に変な液体を飲まされ、
コップ一杯の中に、ドロッとした飲み物(麻酔薬)を全部飲んで、
少し細目の内視鏡の検査を行ったのに対して、今回は全く違い、
スプレータイプをロの中に2回。
シュッと噴射し、噴射した麻酔薬を舐める。
それを2回繰り返した所で、3回目をする時には、
私は、息が苦しくなり、過呼吸になる程までなってしまい、
それでも、内視鏡の看護婦さんや看護士さんは、
「あと、1回だけだから・・・。あと、1回だから・・・。」
「大丈夫。呼吸を楽にして・・・。」と呼吸が荒くなっている私の口に、
無理にスプレーを吹きかけようとしたので、
私は、呼吸が荒くなっているのを無理に
「大丈夫って・・・・・無理です。」と
看護婦さんや看護士さんに伝えても届かず、
呼吸が荒くなっているのを平然と内視鏡検査室へと入らされた。
そして、呼吸が荒くなっているのを平然と横向きに寝かせ、
かなり太そうな管を私のロの中に入れ、内視鏡検査が始まった。
内視鏡の検査が始まっても、私の呼吸は荒く、看護婦さんが、
「大丈夫だよ。
ちゃんと管が胃の中を検査しているからね。」と言っても、
私の呼吸は荒くなる一方で、
涙が自然と出てくるのが分かる程、かなり辛い状態でも
「大丈夫だよ。呼吸も落ち着いているからね。」と言ってくる。
私は、ふざけるな!って思いつつも、
挙げ句の果て、体が段々と振るいだし、放心状態になってくる始末。
「もう抜くからね。」っと内視鏡の先生?が言い内視鏡の管を抜いた。
内視鏡の管を抜いた後も、呼吸は荒く、体の震えは止まらず、
看護婦さんの指示で内視鏡の先生の診察を受ける為に、
放心状態のまま、無理車椅子に座らされた。
内視鏡の先生曰わく。???
「胃の中は、赤くなっていて、
慢性胃炎になっていて、ピロリ菌がいます。」と伝えられた。
私の呼吸は荒くなっていたのが、段々と少しずつ整えていき、
体の震えは少し治まりつつ、
放心状態のまま7階の病室へ戻り、ベットに横になった。
暫くして、放心状態から通常の状態に戻り、水分を取ってみたが、
飲み物を飲み込んだ瞬間。痛みが生じ、喉に違和感を覚えたが、
誰にも、喉の違和感の事は言わず、過ごす事にした。
再入院中…。入院への不安。
7月17日(月)~7月23日(日)まで、
胸の痛みも動悸も胃からみぞおち辺りの部分の
痛みも和らいで安定していたのに、
今日は今朝から動悸。胸の痛み。胃からみぞおち辺りの痛みが強く、
体もかなりだるい感じがしている。
看護婦さんに伝えても、「様子を見ましょう。」って言われ、
主治医の先生に伝えても、
「検査結果は異常ないから大丈夫だよ。」って言われる・・・・・。
じゃあ・・・・どうして?動悸がしたり・・・・・。
胸が強く痛いの?って自分では思うけど・・・・・。
多分。看護婦さんも主治医の先生も・・・・・。
7月17日(月)~7月23日(日)まで
心臓も、脈も、検査も異常がなかったから、
急に、動悸がしたり、胸も痛みなんてある訳がない・・・・・。
それに、薬をきちんと飲んでいれば、
必ず効いてきて、症状が出ないはずだ!って思っているのかも?。
そう感じるのは、最近では、どんなに胸が痛くなっても、
「様子を見ましょう。」って言われるようになり、
私は痛み止めを貰う事もなく、そのままの状態=放置状態にされ、
私は、激しい動悸と強い胸の痛みと戦う事になる・・・・・。
こんな、何もしないで、放置されて、何で入院が必要なんだ!!
こんな事なら、救急車を呼ばないで、
家にいれば良かった!!。と後悔がよぎる。
時々、私は、何で入院しているんだろう?って思う事が度々ある。
隣のベットに同じバセドウ病で入院して来た。
その人は、私の母と同じくらいの年の女性で、
5年位前?にバセドウ病を発症し、
今回は、高熱が出たという事で入院して来たらしい・・が、
隣のベットに来たって思っていたら、
甲状腺機能は安定していたらしく、3.4日入院して退院して行った。
えっ何故???3.4日の入院って・・・・・
何故?って正直。思ったのは言うまでもない。
朝、採血(5本)取り、胸部のレントゲン検査を撮り、
夕方の17時頃。甲状腺専門の外科の先生に呼ばれ、
1階の外科の受付に1人で向い、診察を受けた。
私は、甲状腺専門の先生に、手術を受けたい事を伝えると、
甲状腺専門の先生は私に、
「今の心臓の状態では、
手術をする事はかなり危険なので、手術は出来ません。
甲状腺も,もう少し落ち着いてきているので、
今は、薬の治療をして下さい。」と言った。
私は、
「どうしても、今よりも楽になりたいから、
手術を受けたいです。」と伝えた。
甲状腺専門の先生は、私の言った事を考え、
「じゃあ・・・。心臓も・・・甲状腺も落ち着いてから
内分泌の先生と相談して、手術を考えます。」と私に言った。
私は、“手術”という期待に胸をふくらませ外科の診察を終え、
途中、強い動悸と胸の強い痛みを耐え、
休憩しながら7階の病室まで1人で戻った。
強い動悸と胸の強い痛みを看護婦さんに伝えても、
「様子をみましょう。」と言われるだけなので、
私は、何も伝えるのも無理だと諦め、
強い動悸と胸の強い痛みを耐えながら、
ベットの上で自分が楽な体勢で安静にし、色々と考えた。
私は、どうして?何の為に長期間。入院をしているんだろう?
何で、手術が出来ないんだろう?
どうして?薬で時間をかけて直さなきゃいけないんだろう?
薬で直さなきゃいけないメリットは?デメリットは?
と色々考えても、自分では答えの理由が見つからない・・・・・。
私と同じ病気を抱えている人は、どう病気と接しているんだろう?
私が手術をしたいって思ったのは、2つあって・・・・・、
1つ目は、家族に迷惑をこれ以上。かけたくなかった事。
2つ目は、退院した時に自分の病気をネット検索していたら、
私と同じ病気を持った人が沢山いて、その中の人達の中に、
まずは、私と同じメルカゾールの薬で治療している人がいて、
薬の治療を始めて、
1~2年の人。3年~5年の人。5年~10年位の人達がいて、
それぞれ、メルカゾールの薬を飲んでいるんだけれど、
まだ、完治には至っていない人が多く、私はかなりビックリした。
アイソトープ治療(放射線療法)の人は、
治療をして直ぐに効いてくる訳でもないので、
人によって効いてきてくるのに時間がかかる。
手術をした人は、甲状腺を残す人と甲状腺を全摘する人がいて、
どちらを選択しても、「早く治療が出来て良かった。」
「ホルモン剤を飲む事になったけど、仕事に復帰出来て良かった。」
「ストレスが減った。」
「軽減した。」とメリットが多く、デメリットが少なかった。
そう・・・・・。ネット検索していて、色々な情報を私なりに取り入れた。
それでも、私は、自分の病気に対して、
3つの方法、薬。アイソトープ治療。手術。があるって
ネットで知った時。私は、治療を選ぶ事も出来ず、
3つの情報を知らずに、
入院して、退院して、再入院しているんだ!?って
正直。ショックだった。
自分の病気なのに・・・・・?。どうして?って・・・・・。
先生達だけが知っていればいいの?先生達が治療方針を決めるの?と
私には、正直・・・。理解出来ない。
納得出来ない部分が最近になって不安となって出てくる。
再入院中…。私の誕生日。
今日は私の45歳の誕生日。
まさか・・・病院で過ごす事になるとは思ってもみなかった。
確かに・・・。生まれてから誕生日は仕事もした事も全くないし、
予定があっても他の日にずらしてたから・・・。
そう考えると、病気で入院なんて、神様も意地悪かも
意地悪な神様に、これ以上。邪魔をさせないように、
ず~っと。何事もないように・・・
心臓も安定して・・・。動悸も息切れも無く・・・。胸の痛みも無く・・・。
せっかくの誕生日だから・・・。
1日がハッピーでいられるように祈ってたんだよね。私・・・・・。
まぁ・・・。病気で入院している訳だから・・・・・。
ハッピーって言う訳にもいかないけれど・・・・・。
今日が何事も無く、倒れず無事に生きていられたら・・・・・
それだけでも・・・・・ハッピーだなって思うようになってきたんだよね。
今まで生きてきて、
貧血で倒れた事があっても、数分で起き上がれたけど・・・・・
それ以外で倒れて意識不明って言う経験がないから
何とも言えないけれど・・・・・。
そうなった時。私は何も出来ない時。
神様がどんな判断を下すのか分からないけど、
今まで体に対して無茶をしてきた分。今まで家族に迷惑をかけてきた分。
私は・・・多分・・・。どんな判断を下しても、きっと後悔はしないだろう。
それが私の人生ならば、
今よりも・・・きっと・・・病気から解放されて楽になるだろう。
それでも、神様が、こんな私でも生かしてくれるのなら・・・・・。
今の病気から解放されて、やっぱり笑顔で笑って過ごしたい。
それが、今の私のたった1つの願い・・・。
1日。1日。生きていられたら、
誕生日じゃなくても、ハッピーなのかも知れない…。
そう・・・。色々考えていると1日が終わってしまう。
まっ・・・。今日が何事もなく無事に過ぎたから
・・・誕生日は・・・退院してから・・・・かな?
今日がダメなら、来年もある・・・から。
誕生日にこだわらなければ、自分の好きな日。
例えば・・・全て・・・・。とはいかなくても・・・・・
自分の今。抱えている病気(バセドウ病)を甲状腺の手術をして、
退院して解放された時・・・・・とか・・・・・。
そうすれば、今の状態から、1つのストレスが抜けるし・・・消える・・・・。
まぁ・・・手術しても・・・今よりは・・・・楽になるかも?知れないけれど・・・
それでも、ひょっとしたら・・・・・
手術をしたとして、今よりも辛い現実が待っていたとしても、
後悔だけは、絶対にしないだろう。
だって・・・・・私が選んだ道なのだから・・・・・。
再入院中。不安が募り…今後を相談…。
昨日(7月17日(月))の夜、
脇腹当たりから、胃のみぞおちの当たりの痛みがあったので、
処方薬の痛み止めを飲んで一晩寝てみたけれど・・・・・。
頭の痛いのは直っても、
脇腹当たりから、胃のみぞおちの当たりの痛みは効かなかった。
朝になって、昨日(7月17日(月))は
海の日で病院が休日という事もあって、
採血などの検査が出来なかった為に、今日、いつもの検査。
採血、胸部のレントゲン検査をする事に・・・・・・・・・・。
朝、採血をする時に、看護婦さんに、
「脇腹当たりから、胃のみぞおちの当たりの痛みが、
痛み止めを飲んでも効かなかった」と言う事を話すと、
看護婦さんは、
「取り合えず、処方薬の痛み止めをもう一度。飲んでみて。
ひょっとしたら、効いてくるかも知れないから。
もし、飲んでも効かなかったら、
先生に伝えてみるから・・・・・。」と言った。
取り合えず、処方薬をもう一度。
飲んでみたけれど、全く効かなかった。
私は、脇腹当たりから、胃のみぞおちの当たりの痛みをこらえ、
車椅子で胸部のレントゲン検査をして病室に戻った。
主治医の先生は、
今週1週間(7月14日(金)~7月23日(日))お休みという事で、
主治医の先生の代わりの先生が、昼近くに部屋に来て、
「体調はどうですか?」と聞かれたので、私は、
「昨日の夜から脇腹当たりから胃のみぞおちの当たりまで、
痛かったけれど、今日は、昨日以上に、かなり痛いです。
昨日の夜に処方薬の痛み止めを飲んでも、効かなかったです。」と答えた。
「胃の部分かな?取り合えず、胃薬でも出しとくよ」っと
先生が言い、部屋を後にした。
私は、
「胃薬なら、
今、飲んでいる薬にも胃薬?が入っているのに・・・・・」と思ったが、
看護婦さんが、先生に言われた胃薬を持って来て
「今、飲んでいる胃薬とは全く違う胃薬を飲んでね。」と言った。
私は、えっ?また薬が増えるの??って思ったが、
薬を飲んで、
脇腹から胃のみぞおちの当たりまでの痛みが直るのなら・・・・・と
前向きな気持ちで、胃薬を飲んだ。
夕方のPM15:30頃。内分泌科(甲状線)の診察に呼ばれ、
脇腹当たりから、胃のみぞおちの当たりの痛みがあったけれど、
歩いて看護婦さんと一緒に、
2階の麻酔科(内分泌内科(甲状線)の診察)に行った。
そこで、私は、昨日の夜から、
脇腹当たりから、胃のみぞおちの当たりの痛みがある事。
生理が来たけれど、前回。出血が多かったのに対して、
今回は、出血が少ない事。を話した。
内分泌内科(甲状線)の先生曰わく、
「脇腹当たりから、胃のみぞおちの当たりの痛みに関しては、
主治医の先生の代わりの先生と相談しながらの治療。
今の病気は、生理は、来ても、来ない人も多いけど、
逆に、生理が来ると、段々と少なくなっている状態になるけれど、
心配はしなくても、大丈夫だよ。」と言った。
更に・・・・・。先生は、
「今の状態。今日の検査の検査から言えば、
前回の検査よりも段々と正常値まで下がって来ている。
今度は、正常値になって下がり過ぎず、上がり過ぎないように、
調節しながら、薬の量を減らしたり、増やしていきます。
完全に直るまでには、1年。5年。10年。かかる人もいます。
他の病気なら、完治って言い方もするけれど、
バセドウ病の場合は完治とは言わず、治癒って言い方をします。
なので、状態が良くなって来れば、薬も1錠に減っていく。
でも、中には何年かした時に、再発する事もあります」と私に伝えた。
そこで私は、産婦人科で受診した時に、“分葉状内頸部腺過形成”と
“最小偏倚型粘液腺癌”の疑いがある。事を先生に伝え、
私が思っている事を正直に伝えた。
「今の状態から、言えば、いくら正常値になって良くなっても、
完全に直るまでには、
時間もかかってくる事を考えると正直。辛いです。
それに、今の病気が直らないと、他の病気が出てきた時に、
今のままだと、治療が出来ないので、楽になりたいって思う。
なので、この先。何年もかかるのなら、
素の部分。甲状腺を取る手術は、出来ませんか?」と伝えた。
先生は少し考えて、
「甲状腺を取るには、いろいろな方法があって、
甲状腺を全て取る方法。
甲状腺を全て取る方法は、ホルモンが足りなくなってくるので、
ホルモンを一生。採らないといけなくなってしまう事。」
「甲状腺を少し残して治療する方法がある。
甲状腺を少し残して治療する方法は、
ホルモンを取らなくて済むかも知れないけれど、
再発があるかも知れない事」を私に伝え、
甲状腺の専門?の外科の先生に連絡をして、
7月24日(月)に予約がたくさん入っている為、
診察出来るか分からないけれど、
を予約入れてくれるように、看護婦さんに頼んだ。
「もし、甲状腺の専門?の外科の先生が手術の話をしてくれるなら、
そこで、詳しい手術の話を聞いて」と言った。
私は、先生の診察室を後にし、
2階の麻酔科(内分泌内科の甲状腺)の診察室から、
内分泌内科の甲状腺の看護婦さんと一緒に
7階ののナースステーションまで戻る。
自分の病室まで1人で戻った後。色々考えた。
再入院して、1週間・・・2週間・・・・3週間・・・が過ぎて、
体は、動悸。胸の痛み。息切れは、
入院した時から、弱くなったり、強くなったり、の繰り返しだけど、
他に、段々と入院が長ければ長い程、
私が考えている以上に、体に異変が出てくる。
他えば・・・・。
怪我をした時の傷口が痛くなったり・・・。
脇腹当たりから、胃のみぞおちの当たりの痛みがあったり・・・。
雨が降れば、体全体が重くなって辛くなったり・・・。
24時間。体に付けている心電計が入院当初よりも、
変な脈はありつつも、動悸。息切れ。胸の痛み。があったり・・・・・。
昨日は、体調が悪く体が重く感じたりして、違和感があるけれど、
今日は体調が何故?か体も軽い感じがしたりして、体に異変が起こる。
私は、疲れているんだろうか?
それとも・・・隠れていた病気が出てきたんだろうか?
それでも・・・動悸。胸の痛み。息切れは、繰り返して起こる。
更に・・・脇腹当たりから、
胃のみぞおちの当たりの痛みも繰り返して、痛みが起こる。
一体。どうしだんだろう?私の体。
楽になりたい気持ちと、早く退院したい気持ちが先走って
ストレスになっているんだううか?
今の状態のまま退院しても、素の病気が治らない限り、
体は、今。以上に楽にならないんだろうな?って、
思い考えている私だから、正直。限界かも知れない。
まっ。退院は・・・・多分。もう少し先だろう・・・・・・・?
再入院中…。身体の異変??
夜になると・・・・・。脇腹当たりから、胃のみぞおちの当たりまで痛みがある。
寝ていても、起きていても、トイレに行って病室に戻る間も
痛みは続き、歩くのも辛い状態だった。
そう言う状況なので、動悸も胸の痛みは、あるものの、
それ以上の痛みだったので、凄く複雑な気持ちだった。
今までなら、胄だけの痛みと動悸、胸の痛みだけだったのに、
今回は、更に・・・・・。みぞおちの当たりまでもが痛みがあるので、
「私の体。一体どうしだんだろう?」と正直、不安になった。
取り合えず、処方薬の痛み止めを飲んだので、
明日の朝には今よりも和らいでいる事を願って寝る事にした。
再入院中…。身体が軽い??
主治医の先生が病室まで来て、
「体調はどうですか?」と聴診器で胸の音を聞きながら私に言った。
「動悸や胸の痛みがあるけれど、変わらないです。」と答えると、
主治医の先生は、私に
「明日から、1週間お休みだから、
変わりの先生が診てくれるからね。」と言い、病室を後にした。
私は、思わず、
「来週。1週間。退院はできないんだ。」と思ったのは言うまでもない。
再入院中…。産婦人科で“分葉状内頸部腺過形成”“最小偏倚型粘液腺癌”の疑い発覚。
今日は、朝から胃が痛い。
原因は、単なる胃の痛みではなく、7月10日(月)におこなった、
産婦人科のMRIの検査結果が、
今日の産婦人科の診察で分かると思ったのが原因(多分。)で胃が痛い。
朝から毎週のように採血(5本)、胸部のレントゲン検査。
心電図は昨日(7月12日(水))。部屋で図ったのでなし。
午後から、眼科と産婦人科の受診と言う事もあったし、
眼科と産婦人科がいつ呼ばれるのが分からなかったので、
スヤスヤと眠ってしまっていた私・・・・・・・・・・。
看護婦さんから「眼科と産婦人科に呼ばれたよ。」と言ったので、
何故?か車椅子で、2階の眼科に向かった。
2階の眼科に着き、目の眼圧の検査。目の視力の検査。を受け、
眼科の先生の診察の順番を待った。
眼科の先生の順番が来て、診察を受けていると、
「入院していたんだね。
入院中の治療は、更に、疲れるから・・・・・。
目の方は、2重に見えたりしていても、
段々と2重に見えなくなるから、今の所は、大丈夫だよ。
もし、目が辛いなら、眼帯を付けてみてね。」と言ったので、
ひとまず一安心かな?って思ったりした。
次は、同じ2階の隣の産婦人科。
産婦人科に着き、産婦人科の先生が待つ診察室へ向った。
そこで、思いもよらない出来事が私を待っていた。
MRIの検査結果によると・・・・・・・・・・。
元々持っている子宮筋腫は、6cmとの事。だったが、
もう2つ見つかったのだと、MRIの検査結果が示していた。
先生の話だと、
「ごくまれな“ガン”で、30年。産婦人科をしてきたけれど、
これは見た事がないし、経験もない。」との事。
産婦人科の先生は、更に私に疑いのある病名を告げた。
それは・・・・・・。
“分葉状内頸部腺過形成”と
“最小偏倚型粘液腺癌”の疑いがあるという事らしい。
それを私に産婦人科の先生は私に、伝え、更にこう話した。
「この疑いを調べるには、産婦人科の台に乗って、
子宮の検体を取って調べるとそれが、本当かどうかが分かる。
もしも、気になって、調べたいのなら、調べられるよ。
でも、貴女は、経験もないし、無理だと思うから、
3ヶ月後。MRIの検査を受けて、調べれば良いと思うよ。
ただし、もし、本当にガンなら、諦めるしかないと思うけど…」と
私に言ったので、私は、先生に、
「今は、体の事もあるから、無理だと思います。」と伝え
産婦人科を後にし、7Fの自分の病室へと戻った。
部屋に戻って、「本当にこれで良かったのかな~。」と考えたり、
「でも、やっぱり。産婦人科の診察台は・・・・・。」って考えたりした。
でも、また、繰り返し考えて、
悩んでしまっている自分がいる事に気づく。
「一体。私は、どうしたら、良いんだろう・・・・・。」と、
考えながら、トイレに向って歩いていると、
主治医の先生とばったり遭遇。
主治医の先生は、「体調はどう?」って言いながら、
談話室に私を連れて行き、
再入院の時の胸部のレントゲン画像と、
7月10日(月)に撮ったレントゲン画像を見せてくれて、
そして甲状腺のホルモンの状態を見せてくれて説明してくれた。
主治医の先生は、
7月12日(水)の強い胸の痛みと強い動悸の事を気にしていて、
「う~ん。こうなる訳はないんだけれどな~。」と言ったりしていた。
私は、主治医の先生に、今日の産婦人科での事を話した。
「産婦人科の先生に聞いているか聞いていないか分からないけれど、
MRIの検査の結果。“分葉状内頸部腺過形成”と
“最小偏倚型粘液腺癌”の疑いがある。」という事を伝え、
更に私は、
「言われてから、結構。気になってしまって、
疑いのある“ガン”の検体の検査しても大丈夫ですか?」と尋ねると、
主治医の先生は、
「今は、心臓の不整脈が安定してないので無理かな?
今は、自分の体を治すって事だけを考えなさい。」と言われた。
私は、更に、主治医の先生に尋ねた。
「私、最初。産婦人科の先生に、“分葉状内頸部腺過形成”と
“最小偏倚型粘液腺癌”の疑いがある。って聞いた時は、
心臓の事があるからって断ったんです。
でも、断って良かったのかな?って考えた時に、
検体の検査をしなくて、3ヶ月後の検査をした時に、
やっぱり、癌になっていた。ってなった時に
私自身、後悔はしなくていられるのかな?って考えたんだよね。
でも、検体を取って検査して、
何もないのなら、無い方が良かったって、
思う事が出来て、今の自分の治療に専念ができるけど、
今のまま、検体を取らないで検査する方が…
もし、3ヶ月後の検査で、
やっぱり“ガン”でしたって後悔するよりは良いよ。」って伝えると、
主治医の先生は、
「そうかも知れないけど、今の状態では、どの医者も断るよ。
前みたいに急いで治療しても良いけれど、
それをしてしまうと、元に戻ってしまうかも知れないから、
今は、ゆっくりと治療するしか出来ない。」と言った。
私は、相談室を後にし、病室に戻り、ベットに座って
「今の私には、どうする事も出来ないんだ。
ただ単に、今の病気を治すだけしか出来ないんだ。」と言う事を
改めて痛感するものの、納得はやっぱり出来ない自分と、
「ただの疑いに過ぎないから?」という疑念が私の頭をよぎる。
再入院中…。突然の雨。雷…私の身体に異変??
昨日(7月11日(火))の足の傷口に貼った湿布が効いたのか?
効かなかったのか?・・・・・。
正直。私には分からなかった。
それは、やっぱり、歩くと、
いくら湿布を貼っていても足には痛みがあったし、
ベッドで横になると、足がかなりだるく、重い感じになっていたけど・・・・・。
痛みが走り少し歩きずらくなっていだけれど、
まっ・・・・・。そのうち治るだろう・・・・・・・・。と思っていた。
数時間後・・・・・。主治医の先生が来て、
「体調はどう?」と言いながら、私の胸に聴診器を当てて、
「大丈夫だね。」と言い、私の足を見て、先生は
「う~ん。腫れている訳ではないし大丈夫だと思うよ。」と言われ部屋を後にした。
その数分後・・・・・。看護婦さんが、
「1日づつしか、この湿布は貼れないけど、
主治医の先生が貼ってみてって言っていた。」と
看護婦さんが違う湿布を渡してくれた。
朝、替えた湿布が、パリパリになってしまったので、
看護婦さんから渡された湿布を貼って過ごした。
今日は、昨日よりも足以外は体調も良かったはずなのに・・・・・・・・。
夕方(15時頃)、突然、空が暗くなってきたかな?って思ったら、
強い雨が降り出し、雷が鳴っていたので私は、
「しばらくして止むかな?
雷が通り過ぎて、去ってくれれば大丈夫。」って思っていたら、
更に強い雨と雷が・・・・・・と同時に、
私の体に異変が起こり強い動悸が私を襲った。
強い雨と雷が終わってからは、
強い動悸が弱くなったり強くなったりを繰り返し続いた。
因みに、夕ご飯時も強い動悸が繰り返し続いていた。
暫くすると、今度は、強い動機と強い胸の痛み、
更にプラスαされ弱い動悸と胸の弱い痛みが繰り返し私を襲った。
「大丈夫・・・・・。大丈夫・・・・・」と思ったが、暫くすると・・・・・。
強い胸の痛み。弱い胸の痛み。強い動悸。弱い動悸。を繰り返していたのが、
更に、今度は・・・・・。強い胸の痛みと強い動悸が私を襲った。
いたたまれなくなった私は、
ナースコールで看護婦さんを呼んで事情を説明した。
数分後・・・・・。看護婦さんは
「ちょっと、調べてみるね。」と、部屋に心電図を運んできて図った。
更に・・・・数分後。
看護婦さんは、小さなスプレーを持って来て、
「狭心症に効く?」と言って、私のロの中にスプレーをした。
囗の中にスプレーを瞬間。
私の体は強い胸の痛みと強い動悸が和らいだ・・・・・・・・かと思ったけど、
頭が何だかボーッとし始めたかと思えば頭が痛くなってしまったり、
右足の足首に鈍い痛みが走ったりした。
「数分まてば、そのうち治るだろう・・・・。」と思っても、
中々、治まる気配もなかったし、
余りの強い頭痛と右足の足首の痛みが我慢が出来なかったので、
看護婦さんに言って痛み止めを貰って飲んだけど・・・・・。
痛み止めが効いたのか?頭の痛みはスッカリなくなったが・・・・・・・・・・。
足首の痛みは効かなかったのか?
足がズキズキ痛んだので湿布を貼ったが・・・・・。
私の体の異変は、まだ、なくなってはいなかった。
確かに、処置をする前は、胸の痛みも動悸も強くなっていたけれど、
ロの中のスプレー。痛み止め等々の処置をしてからは、
胸の痛みも動悸も強さが少し半減し弱まってしまった。
当然。今も、動悸も胸の痛みも弱いけどある。
が明日には全くない事を願う。
今は、就寝時間(消灯時間)が過ぎていた事もあって私は寝ることにした。
再入院中…便との格闘…。
深夜から朝にかけて、お腹との格闘していた私。
何を格闘していたか?と言えば・・・・。
昨日(7月10日(月))の深夜に便が出て以来。
全く出る気配もない便…。
なので、看護婦さんに頼んで、下剤を寝る前に飲んでから・・・・
「お腹がグルグルと鳴ったので便が出るかも?」って
トイレに行くけれど・・・・出ない・・・・を繰り返す事・・・・数時間・・・・・。
深夜になっても、変わらず、そんな状況では寝られず、
「お腹がグルグルと鳴ったので便が出るかも?」って
トイレに行くけれど・・・出ない・・・・を繰り返していると・・・・・
「お腹がグュルグュルと
今までとは違った鳴り方だったので、今度こそ。」って
思っていると・・・・・
やっと・・・・・便が出てスッキリした時には朝のAM4:30になっていた。
このままスッキリした感じになっていた事もあって、
私は、入院から毎日(出来ない日もあるけど・・・・)、
いつも通りに、もう一度。トイレを済ませ、
体重を図り、ベットに戻り、
体がだるいし重たい感じを感じながら横になった。
そして、昨日の夜から今日の朝まで、寝られなかった私は、
便が出てスッキリした事もあって、そのまま2時間位。眠りについた。
変な夢で目が覚めた私は、
自分の足がかなりだるく、重い感じになっているのを感じ、
おまけに、動悸が、何故?かいつも以上に早い鼓動だった。
そして・・・・・数時間が経った頃。母がお見舞いに来てくれた。
私は、自分の足がかなりだるく、重い感じになっていたので、
ベッドで横になりながら、
時には、自分が24時間。体に付けている心電計を見ながら、
母とお亙いの病気の事。愛犬の事。私の子供時代の事。
亡くなった父親の事。母の毎日の食事の事。等々を話なした。
そして・・・・・。時間は過ぎ、
内分泌内科(甲状腺)の先生の診察の時間になったので、
私は、足がかなりだるく、重い感じになって、
更に・・足の強い痛みがあった事もあって、
念の為に車椅子で、母と看護婦さんと看護学生さんと一緒に、
2階の麻酔室(週1のみ開放される)=内分泌内科(甲状腺)に向った。
診察の順番が来て、受付の看護婦さんに呼ばれると、
私は、診察室に向かって、母と一緒に先生の話を聞いた。
先生曰わく。
「ホルモンの値が、入院の時は上がってしまっていたけれど、
今は、薬で徐々に下がってきている。
勿論。ホルモンの値は、下がりすぎても、上がり過ぎても、
体に大きな負担がかかってしまうので、
急ぎすぎても、早く治療をしても、元に戻ってしまうので、
今は、ゆっくり治療をしているので、
ホルモンのバランスが丁度良いところまでくれば、
心臓も安定してくるのではないのかな?
なので、退院は、いつになるのか、今の所。分からない。」との事。
先生の診察が終わり、
2階の麻酔室(週1のみ開放される)=内分泌内科(甲状腺)を後にし、
7階の病室へ戻った。
病室へ戻って、数分後・・・・・。主治医の先生が病室に来てくれた。
「現状。どうりでしょ?」って言いながら、
私の服の上から聴診器を当て、「動悸?心臓?が早いね~」と言い、
私が、朝から足がかなりだるく、
重い感じになって、更に・・・・足の強い痛みがあるって言うと、
主治医の先生は私の足に触って
「むくみはないね。」って言って病室を後にした。
私は、何で、こんなに・・・・・今日は思いっきり、
足がかなりだるく、重い感じになって、
更に・・・・足の強い痛みがあるんだろう?って不思議な1日だった。
横になっている時は太ももから膝にかけて、痛みはあるけれど、
歩いてみると…左足の膝の当りに集中して、
しかも、深い傷を負って、
今は傷がふさいである場所に痛みがある事に気付いた。
何故?今頃?って、あれから半年位経っているのに・・・・・。
深い傷を負った時。傷口を洗わなかったから?
深い傷で、肉種が見えて、触っただけで、かなり痛かったから?
ってあれこれ想像はするけれど言う感じにしか、私には、思えなかった。
そして・・・・・。段々と足の傷口に傷みを感じた私は、
腰が痛くなった時に貼る湿布を足の傷口に貼った。
湿布を貼って、しばらくすると、ビリビリとした感覚に陥った。
「これは、かなり効いているのかな?」と、
そのまま湿布を貼って、一晩過ごした。
再入院中…産婦人科のMRIの検査。
昨日(7月9日(日))に採血、心電図、
胸部レントゲンを撮って検査をしたので、
本日は、私が気になっていた子宮筋種のMIRの検査のみ。
朝の食事を済ませ、午後になって昼ご飯を食べず、
PM13:00頃にMIRの検査という事もあって、
飲み物も1時間前から取らず、MIRの検査に呼ばれたので、
1階のMRIの検査室に向かって、約20分位。下腹部の検査をした。
MRIの検査が終わり、喉が渇いていた事もあって、
売買で飲み物を買い7階の病室まで戻った。
病室に戻った私は、何故か息が上り、
呼吸が苦しくなって動悸を起こしていた。
10分。20分位経った頃。私はMRIの検査が終わった事で、
お腹がすいているのを感じたので、
「お昼って食べてないんだけれど・・・・・・・・。」と看護婦さんに尋ねると、
看護婦さんは、
「うん。検査の時はお昼ご飯は出ないんだよ。
もし、お腹が空いているのなら軽食で良ければ
栄養士さんに言って出してもらえるけれど?」って言ったので
「じゃあ・・・・。お願いします」と私は言った。
そして・・・・数分後。
パン(食パン2枚)、ハム(2枚)、チーズ(1枚)、
キャベツ和え、缶詰のみかん(5数)を用意してくれ、
食パン(2枚)を残し、後は完食して食べた。
更に・・・・数分後。
シャワーの時間が来たので、髪の毛と体を洗い流し、
サッパリして、シャワー室を後にした。
だるかった私の体は少し楽になった気がした。
再入院中…。痛みと動悸。
今日は、AM5:00頃に一旦。目が冷め、まだ起きるには早いが、
入院から毎日(出来ない日もあるけど・・・・)、いつも通りに、
トイレを済ませ、体重を図り、ベットに戻り、
体がだるいし重たい感じを感じながら横になって眠った。
数時間後・・・・・・・・。
私は、息苦しさで目が冷めたと同時に、
朝の体温、血圧、酸素の時間になっていた事もあり、
体温、血圧、酸素を図った。
看護婦さんに、
「胸がドキドキ=動悸がして胸が痛く、息苦しい」事を伝えた。
数分後。看護婦さんは、病室に心電図を運んできて図った。
胸の痛みと、胸の動悸を起こしていた事もあって、
採血(4本)取って検査。
日曜日という事もあり、当直医の内科の先生が、
「水分は取っている?」と聞かれたので、私は、
「ペットボトル2本分(1000ml)取ってるけど尿が余り出ない」と答えると、
利尿剤を打つ事に・・・・・・・・。
そして・・・・。念の為にと、胸部のレントゲンの検査。
1時間位すると、もう一度。血液の検査をする為に3本の採血。
そして・・・・そのままベットの上で過ごす。
何とか、夕ご飯(2割半)を終え、一息ついていると、
気持ちが悪くなり、10分~15分位の間隔で嘔吐を繰り返した。
看護婦さんに、
「気持ちが悪くなって、嘔吐を繰り返した」事を話した。
そうしたら、看護婦さんは、吐き気止めの注射を打ってくれた。
暫くすると、薬が効いたのか?気持ちの悪さも消えて一安心した。
胸の痛みも動悸も和らいでいった。
再入院中…。退院は??まだ先??
昨日の夜から、胃がムカムカして気持ちが悪くて最悪だ!!
朝・昼の食事は1割位しか食べられなかった。
更に・・・・。胃がムカムカして気持ちが悪かったので、
看護婦さんに、吐き気止めの注射をしてもらった。
内分泌科の先生が来て、
私は、歩けば動悸。息切れ。腰の痛み。
溝落ちの所に痛みがあって、
その部分に“しこり?”があって動く話をした。
その話を聞いた先生は、私に、
「う~ん。主治医の先生と相談するね。」と言った。
その後・・・・。
主治医の先生や内科の部長さんが、検診に来たけれど、
私を診て「退院は無理だな~。」と一言いって部屋を後にした。
私は、
「ふ~。退院できないんだ~。」と思いながら、
自分が情けなくなった。